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跳び石の休日のおかげで、自宅に保管されていた昔の写真を整理する時間がもてたため、私の高校時代の記録を“発掘”した。本題でこの欄を書くのは、今年の8月以来(7月31日、8月1日、同4日)だが、読者にもこの発掘作業の続編をお届けする。8月までに書いたのは、私の高校時代のことだった。

 その頃私は青山学院高等部の出版部に所属していて、「日本国憲法無効論」などで論陣を張っていた。私は当時、生高連(生長の家高校生連盟)にも参加していて、そこの東京の機関誌に文章を書いたりもした。その内容については、前回までにお伝えした通りである。当時の日本社会の状況は今とはまったく異なり、警察の機動隊と学生を中心とした若者との対立が全国で常態化しており、一部では“革命前夜”の様相を呈していたのである。

当時の若者の多くは、べトナム戦争をアメリカの帝国主義侵略戦争と考え、その国と安全保障条約を結んで基地を提供している日本は、侵略戦争の片棒をかつぐ“悪政’を敷いているとして、1970年に改定の節目を迎える日米安保条約を朗粉砕”すると息まき、警察と激しく衝突していた。私の通っていた青山学院のある青山通りでは、歩道の敷石がほとんどはがされ、機動隊との対立に備えて学校内に持ち込まれた。これを砕いて投石に使うのである。清涼飲料の瓶は“火炎瓶”に使われ、工事現場からは鉄パイプが盗まれて“槍”に加工された。これらの武器は学生会館のどこかに隠され、会館周囲には、教室から持ち込んだ机や椅子やべ二ア板でバリケードが組み上げられた。つまり、「戦争反対」を叫びながら、彼らは国の治安機関との間では戦争に近し)力的対立を深めていた。
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